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「デメリットのあるところにこそ、ビジネスチャンスがある」 小倉昌男 (ヤマト運輸の「宅急便」サービスの生みの親)

「デメリットのあるところにこそ、ビジネスチャンスがある」

小倉昌男 (ヤマト運輸の「宅急便」サービスの生みの親)

1924~2005

 

小倉昌男は東京生まれ。昭和二二(一九四七)年に東京大学卒業後、父の経営する大和運輸(現在のヤマト運輸)に入社し、昭和四六年に社長に就任した。しかし、新社長を待っていたのは、オイルショック後に運輸業界を襲った不況だった。

そこで小倉は、大企業との契約をすべて解消し、個人向けの宅配事業へ乗り出すことにした。当時、荷物の宅配は主に国鉄が取り扱っていたが、発送から到着までI〇日近くかかるのが普通だった。当然、個人向け運送業などあり得ず「絶対に儲からない」というのが定説となっていた。そのため、小倉が「個人向けの宅配事業に乗りだす」と言い始めた

ときには「あいつの考えはおかしくなった」といわれた。

そのとき小冊は「デメリットのあるところにこそ、ビジネスのチャンスがある」

ときっぱり言い切り、個人向けのサービスをスタートしたのである。

当初、関東一円を対象にして始まった個人向け宅配役は大当りし、当初、年間二〇万個程度と考えていた取扱件数は三年目でなんと一〇〇〇万個に達した。

そして、四年目にはサービスエリアを全国に拡大し、みごと大和運輸を危機から救った。だが、順風満帆だったわけではない。宅配役事業を拡大する過程にはさまざまな障害があった。なかでも最大の障害となったのは、サービスエリアを全国に広げることに運輸省(現在の国土交通省)が難色を示しかことであった。当時、運輸業の免許は都道府県単位で交付されていて、全国に配送ネットワークを作ることなど想定していなかったのだ。小倉は「前例のないものは許可できない」と杓子定規に語る役人たちと戦い、苦心の末に全国一律サービスを実現したのである。普通の経営者なら、デメリットのあるところに近づこうとはしないだろう。だが、それではビジネスチャンスは生まれない。人が近づかないからこそチャンスがあるということを小倉は数えてくれている。